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愛善みずほ会創立75周年

愛善みずほ会創立70周年に寄せて-09

〝みろくの世〟の姿「天産物自給経済」を目指して

■ 無農薬による稲作を明日香の地で

 日本人の食生活もしだいに米食中心から麦食(パン)へと〝欧米化〟していく。米の消費量は昭和38年をピークに減少。その一方で、生産技術の向上によって収量は増大・安定し、「コメ過剰時代」を迎えた。また豊作年が続いたこともあって、昭和42年からは余剰米が「古米」として次年度へと持ち越されるようになる。そして昭和44年、政府管理による米の生産調整、つまり「減反」が始まった。
 このような社会状況のなか、大本の中で、それは小さな〝型〟であったかもしれないが、たいへんユニークな農業実践が行われている。それは昭和45年の秋、大本の教育機関「梅松塾」(名誉塾長・出口直日三代教主)が、奈良県明日香村に、減反予定地だった農地を借り受けて、無農薬栽培による稲作を始めたのである。
 三代教主(名誉塾長)はその折、「塾生たちに明日香で公害のない稲作(無農薬栽培)をさせて、大地のご恩のわかる、たくましい青年に育ててほしい」ということを当時の梅松塾職員たちに話されており、さらに、「大本は型の出るところであり、明日香は日本の型の出るところと思う」という言葉も述べられている。