当時(昭和18年)の日本は国を挙げて軍国主義に覆われ、個人の生活まで戦時体制の規格にはめられていました。しかも聖師様(出口王仁三郎大本教祖)、二代様(出口すみこ大本二代教主)はその前年に未決から出ておられましたが、世間にはまだ大本が邪教であり国賊であるという印象が濃厚であったころでございます。敗戦に至ってもその誤解はとけず、但馬の山間の小さな町にも平安はなく、食糧難、生活難の上に、日出麿(出口日出麿大本三代教主補)の、事件による後遺症が一般に理解されなかったことも加えて、私ども、成長ざかりで傷つき易い年ごろの子供たちは勿論、いろいろな形で私どもを助けようとして下さった信者さんたちも、まことに辛い思いを致しました。
竹田で、私は農のくらしに徹しようと覚悟しておりました。ひたすらお土にすがって生きたいと、荒々しい百姓の労働に身を挺しました。今にして思えば、本気で生涯土を耕してくらそうとしたこの時代がありましたために、それまで、もひとつ実感出来なかった、祖母(出口なお開祖)や父母(出口王仁三郎聖師・出口すみこ二代教主)のご苦労、また農民のよろこびやかなしみを体得させていただけたように思います。
(「大本竹田別院50年史」より)
私は日本の立直しは、どうしても――農民を大切にすること――からはじまらなければウソだと思っているのです。
(中略)
〈食〉というものが私たちの人生にとって、人間社会にとってどれだけ重要な地位にあるかということは、誰でもちょっと考えてみれば判ることでありながら、実際には〈食〉について根本的なことがらがあまり考えられていないのではないでしょうか。ことに食もつをつくる〈農〉というものは、この現実において、何に先行さしても考えるべきことがらでありましょう。
政治は、百姓を大切にしてこそ、ほんとうの正しい政治が行われるのではないでしょうか。農を中心にしてこそ、この国の経済も文化も本当に立直るものであることを私はかたく信じるものであります。
(中略)
――農こそは、文化の母胎である――と私は信ずるのであります。
さいわい、私の家は先祖代々の百姓であり、私もこれで20年近く、といいましてもこのごろは田植えに出るくらいでといわれるかも知れませんが、ずっと百姓の真似ごとをつづけて来ています。私の娘も息子も一応は肥汲みもさしてもらって来ましたが、人間はある期間は何らかの方法で土に親しみ、農を体験さしていただくことによって社会の底深いなりたちというものを少しは感じることが出来、それによって私たちの生涯を尊いものとして、生活の上に文化の上に浮き上がったものでない地についたものを求めるようになることを信ずるのであります。
(中略)
ことに、政治家とか、宗教家とか、この国の文化の指導的な立場に立つ人々には、農の体験は、欠くべからざるものとさえ思つております。
(中略)
やはり、本当の文化は、農を母胎としてこそ産み出すことが出来るのであると私は世の識者に訴えたいのです。これは祖母(出口なお大本開祖)が示し父(出口王仁三郎大本教祖)が叫んだところのものでありますが、私もよくよくいろいろのことを深く考えた上で、その底力のあるお示しを信念としています。
(「おほもと」昭和31年創刊号より)
昨夏(昭和46年8月7日)、父(出口王仁三郎聖師)の生誕100年を期して、人類愛善会の活動を更に活発化して、人間の立て直しと新しい人類文化の創造をめざして、すすましていただくことになりましたが、何が文化、文明であるかといいますと、父は、親愛の情の極めて広大な者を文明人といい、反対に親愛の情の狭く小さな者を野蛮人ということができる、と示唆に富んだ表現で指摘しています。つづまるところは愛善精神の有無にあります。
経済のゆきづまり一つみましても、経済の根本は、天地のご恩を感謝し、ものを大切に生かさしていただく愛善精神にあると思います。それが、感謝のおもいも薄く、求め使い捨てては次々と新しいものを追いかける経済のあり方に変わってから、ものは豊富になっても、かえって欲望はつのるばかりで、さまざまな社会悪のもとになっています。
その上、大量生産、消費によって、地上にいろいろな公害現象が起こり、人類だけでなく地上のすべての生物の生命をむしばみつつあります。
いかに経済的な繁栄の中にありましても、愛善精神をもたないのでは、まことの文明とはいえないのです。
その意味で、新発足後の人類愛善会はまず脚下照顧、人類の立つ足もとである、この大地を愛し、そのご恩を感謝することから第一歩を力強く踏みはじめたいとおもいます。
日常をお土のこころをもって人びとに接し、また身近な公害や公害草を除去しつつ、やがて大きな人類の平和・愛善世界の建設につながりたいものと念じています。
(「人類愛善新聞」昭和47年1月号)
これからのみずほ会は、神さまのお光りをまともに出して進展してください。
食糧の問題がどういうものであるかは、いまに人類が身を以って体験させられるでしょう。
開祖さま(出口なお大本開祖)は、掌にくっついたお土も有難いと思わねばならないと申されました。けっきょく、土づくりを農の本にさしていただきましょう。
近代農業と昔からの農業とが、調和のとれた自給自足の道を歩まれる農家を広げましょう。
信者さんへは、私が奨めているからと言って、みずほ会に協力して貰うよう努めてください。
(「みづほ日本」昭和56年10月号)
かむながら おつちのこころになるならば このよにふそくひとつだもなし
いろいろの理くつをやめて 土の恩かみしめてみよ かみのありかを
(人類愛善会)二代総裁(出口すみこ大本二代教主)のこれらのお歌を深く思い、お土のご恩を感謝するくらしを実践し、無限にいのちを育て、すべてを抱擁するお土の心になって、このこころを広めるために、地道な精神運動を展開し、世界の平和に寄与させていただきたいと願うものでございます。
お土のこころに誰もがなるようになどと申しますと、愛善世界の招来のためには、たいへん遠い道のりのように思われましょうが、実はもっとも確実な、従ってもっとも近い道であり、それ以外にはないと信じるものでございます。
(「人類愛善新聞」昭和62年年頭所感より)
当今の食糧事情は自給自足に程遠く、日本は海の彼方の物資に依存しており、一朝それが断たれましたら、それこそお米一粒、菜の葉一枚もとうといことを思いしらされるはずですのに、そのありがたさを忘れ、さらにはすべてを産み出すお土のご恩も思わず、神さまのものであるお土を投機の対象にさえするというような、恐ろしい世相だと申します。
私どもは、くり返し申しますことですが、お土のご恩に感謝し、ものをまつべるという、開祖さま(出口なお大本開祖)がおん身をもってお示しになりましたくらしに、どうしても立ち帰らなければならないと存じます。
そして開祖さまに神ならい、私心を去り、われよしを捨てて、世界の人類の安心立命のために働かせていただかなければなりません。この小さな教団が、今日、国の内外で大きな活動をさせていただいておりますことは、神さまのご経綸であり、皆さま方のご努力に負うところでございますが、一方おかげになれて、ついつい感動を忘れ、安易な日々を送っている現在の大本の人々のくらしを、開祖さまに申し訳なく、空おそろしいまでに思うのでございます。
長生殿完成の予定が早まりまして、開教100年(平成4年・1992年)を期して、皆さまとよろこびをともにさせていただくはこびとなり、うれしく存じます。しかし長生殿にふさわしい、まことの人がふえることこそ、長生殿ご造営の目的でございます。
(昭和62年11月 大本開祖大祭ご挨拶より)