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愛善みずほ会創立73周年

愛善みずほ会創立70周年に寄せて-04

〝みろくの世〟の姿「天産物自給経済」を目指して

■ 食糧増産運動から「愛善みずほ会」創立へ

 昭和21年(1946)2月、大本は、10年間にわたった第二次大本弾圧事件(昭和10年~同20年)から、大審院(現在の最高裁)の無罪判決(治安維持法違反容疑)によって、晴天白日の身となり、最初は「愛善苑」という名称で再発足した。愛善苑はその発足にあたり、宗教的信念にもとづく農産物の生産増強を図り、終戦直後の窮乏する国民生活に寄与するために力をつくすことを基本方針の一つに置いて、開祖時代以来の大本の精神である「信農一如」をモットーとして食糧増産運動に力を注いだ。その目的を達成するため、本部内に農事課も置いている。

 昭和20年代初頭は、日本敗戦による動揺は収まらず、食糧その他生活物資は極度に窮乏し、配給食糧しか手に入らない都市部の住人たちが、食糧買い出しのために農村へと向かうという状況であった。そこで、再発足した大本(愛善苑)は、平和日本の基礎を安定した農村社会に置かねばならない、と主張した。

 聖師は、昭和17年の保釈出所以来、かつてご自身が「大本理想郷社農園」と命名された亀岡・中矢田農園に出口家の親族とともにお住まいになっていたが、大本が愛善苑として再発足すると同時に、その「苑主」になられている。またそのころ、「酵素は天国の肥料である」とおっしゃり、同農園内に「酵素研究所」を設けられている。

 こうして愛善苑(大本)は「酵素農法」(※注)を中心として、米・麦・甘藷(サツマイモ)などを生産する篤農家を招き、農事講習会を頻繁に開催。昭和22年には本部および全国で、約50回にのぼる農事指導講習会を行っている。特に長野県の稲作研究団体「瑞穂〈みずほ〉会」の指導者、黒沢浄氏を招いたことがきっかけとなり、愛善苑農事課と瑞穂会を発展的に解消し、昭和23年(1948)2月4日、大本の節分大祭当日、「愛善みずほ会」が創立するときを迎えた。

(※)酵素農法
 大本農事部嘱託の故・島本覚也氏によって「微生物農法」と呼称された〝土づくり農法〟。後年、「愛善有機農法」「愛善みずほ農法」などと名称が変わった末に、平成13年3月、「愛善酵素農法」という統一名称で呼称されることになった。