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愛善みずほ会創立73周年

愛善みずほ会創立70周年に寄せて-02

〝みろくの世〟の姿「天産物自給経済」を目指して

■ 板にのせられた一塊の黒土

 ここで、大本の史実にある有名な逸話を紹介させていただく。その逸話は、明治25年(1892)旧正月、国祖の大神が出口なお開祖に帰神されたとき(大本開教)にまでさかのぼる。
 それは帰神からまだ10日ほどしかたっていないころのことだった。開祖の神がかり(帰神)は激しく、たいへん厳しいご状態にあった。その知らせをうけた開祖の三女・福島久子さん、寅之助氏夫婦は、幼い長女のお藤〈ふじ〉さんを連れて、綾部の実家へと帰ってきた。
 久子さんは母への見舞い金として10銭銀貨をさし出したところ、ご帰神状態にあった開祖は、
 「見苦しいわい、持つて去〈い〉ね、持つて去んで孫に饅頭〈まんじゅう〉でも買うてやれ」
とお叫びになり、
 「妾〈わし〉は何も土産〈みやげ〉に遣〈や〉るものが無いからなァ、一寸〈ちょっと〉待つてゐて」
と言われて、裏口を出て、蒲鉾〈かまぼこ〉板に一塊の黒土をのせて戻ってこられた。
 「さあ、これが妾〈わし〉の土産ぢや、これを持つて行け」
と言われる。すると、久子さんが「お母はん、土みたいなものを」とあきれて言うと、開祖は、
 「土みたいなものぢやないよ。お土があるから皆が生〈いき〉て居〈い〉られるのぢや。百万円の金〈きん〉よりも一握りのお土の方が、どれほど大切か分〈わか〉らぬのぢや。金は世の淪亡〈ほろび〉の基〈もと〉ぢやぞよ。世界中の人にこれが解〈わか〉つて来たら、この世がみろくの世になるのぢや」
と。そして、その話を横で聞いていた幼いお藤さんが、母・久子さんに向かって、
 「お母さん、みろくの世云〈い〉ふたら何?」
と尋ねると、久子さんではなく、開祖がお答えになった。
 「お藤は好〈え〉え子や。子供は素直で神様〈かみさん〉に好かれるものぢや。みろくの世になれば世界の人が、この子供のやうに初心〈うぶ〉になるのぢや。妾〈わし〉はお藤に好〈え〉え物を見せてやらう。妾〈わし〉に随〈つ〉いて裏へ出て来い。寅之助もお久も一緒に随いてお出〈い〉で、何も心配せいでもよいぞよ。人間心〈にんげんごころ〉を出すから心配が出来るのぢや。神に任して居りさへすれば、それで好〈え〉えのぢや」
と。久子・寅之助氏夫婦とお藤さんの三人が、開祖のあとをついて行くと、
 「此処〈ここ〉が坪〈つぼ〉の内〈うち〉(現在の綾部市梅松苑「元屋敷」跡)で昔の神屋敷〈かみやしき〉ぢや。神屋敷がもとへ戻つて此処に大地〈だいち〉の金神〈こんじん〉様のお宮を建てるのぢや。此処が世界の大本〈おほもと〉となる尊い地場、世界の大本ぢやから万年青〈おもと〉を植えました(の)ぢや」
とおっしゃった。

(※筆者注 上記の「 」内の開祖の言葉は、大本機関誌「神の国」大正13年1月10日号「瑞月校閲『大本教祖伝』大本史実編纂会編」から、原文通りに写したもの)

 そのとき、開祖がさし出された蒲鉾板の一塊のお土は何を意味していたのだろうか。おそらく、お土のご恩を忘れて、物質至上の金の世の中こそ理想世界だと見誤っている人々への厳しいご警告ではなかっただろうか。さらに、常緑草の万年青〈おもと〉と教団名の「大本〈おほもと〉」が重なり、末永く続く大本の永遠性をこの史実は伝えている。
 なお、開祖は長い生涯を通じて、天地のご恩の広大無辺なることを身をもってお諭しになり、大正7年(1918)11月6日、満81歳10カ月の御齢〈よわい〉でご昇天になった。
 開祖の晩年は、70歳を越えられてもなお少しの土地も遊ばせることを許されず、神苑内の畑で鍬をとり続けられていた。こうした開祖のお姿に、農に対する大本の実地のみ教えがある。